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プロフィール
プロフィール
鹿児島に生まれて
3人兄弟の真ん中で、いつも喧嘩ばかりしていました。常に自己主張をしなければうずもれてしまうため、この頃から弁が立ったのかもしれません。今では3人ともとっても仲の良い兄弟です。
右から2番目、故郷の神社にて初詣
小・中学校時代
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昭和62年 3月
鹿児島市立 原良小学校卒業
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平成2年 3月
鹿児島市立 城西中学校卒業
体育教師(柔道)の父と、3つ上の兄の影響を受けて柔道を始めました。 小学校のころはクラス一太っていましたが、柔道を始めてからは見る間にスマートに。 中学校では主将を務めました。
体育祭にて 柔道の最前列が本人
高校時代
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平成5年 3月
鹿児島県立 鶴丸高等学校卒業
高校時代は部活と遊びに明け暮れていました。 勉強は、常に低空飛行・・・・・。 柔道は高校時代に弐段まで取りました。 もちろん、師匠に「弐段」と言われたのではなく、正式にとりました。
柔道部の主将として活躍。 最前列、右から3番目
自衛官として
戦闘機のパイロットにあこがれて、防衛大学校へ しかし学業成績不良がたたり、1年時にまさかの留年。 しかしそれが後々の財産になりました。 大学卒業と同時に航空自衛隊に入りましたが、視力適性がなく、止む無くパイロットを断念。 要撃管制官として、約9年間自衛隊で学ばせていただました。
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平成10年 3月
防衛大学校
(第42期)卒業 (理工学部 航空宇宙工学科)
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平成10年 4月
航空自衛隊入隊
青森県
三沢基地
(防空指令所)
北海道
稚内分屯基地
(防空指令所)
福岡県
春日基地
(防空指令所) (西部航空方面隊司令官副官)
現役時代の訓練風景
「要撃管制官」とは、航空自衛隊における作戦運用の要ともいえる職種です。 平時においては24時間、日本の領空の警戒監視を行い、許可なく接近する彼我不明機(Unknown)に対してはスクランブル発進を下令します。 また有事の防空ミッションにおいては、要撃戦闘機やペトリオットミサイルに、攻撃命令を指令するのみならず、陸上自衛隊対空ミサイル部隊(中SAM)や、海上自衛隊イージス艦・P-3C対潜哨戒機とリンク連接を行って作戦情報の共有をする等、自衛隊統合作戦の要でもあります。 現役の時は、年数回のF-15DJ戦闘機による同乗訓練も行い、第一線での防空任務にあたっていました。
苦悶の末の一大決心
自衛官時代、実際に現場において命を懸けている現場の声や想いが、まったく政治に反映されない現状に、強い問題意識を持っていました。 「多くの政治家が軍事に関心がない。」これは、通常の国家では異常な状態です。 私は、国防という崇高な任務を全うする自衛官いう公職を、とても誇りに思っていましたが、その社会的地位や経済的安定を捨ててでも、敢えて政治という途方もない世界に挑戦してみようと一大決心し、松下政経塾の門を叩きました。
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平成19年4月
松下政経塾
入塾(第28期生)
入塾時の集合写真/左から3番目
国政への初挑戦
平成21年の衆議院総選挙の結果を見て「このままでは日本が潰れる。保守政党を立て直すには今しかない。」と、一念発起。 松下政経塾を早期卒塾し、参議院選挙出馬の意思を固めました。同年12月9日、第22回参議院選挙比例区の自民党公認候補として、公認証を谷垣禎一総裁より交付されました。
防衛大学校の先輩でもある陸上自衛隊出身の参議院議員:佐藤正久先生のお力添えもいただき、逆風の中の激戦を最後まで戦い抜きました。 開票結果が出たのは朝の5時過ぎ、事務所に駆け付けた後援会役員と感動のフィナーレ。121,441名の皆様から信託を頂き、自民党比例区11番目のギリギリの当選でした。苦しい中を一緒に戦い続けてくださった、全国の支援者・同志の皆様には、心から感謝と御礼を申し上げます。
選挙戦最終日、西船橋駅前にて死力を尽くして演説
国会議員として
平成22年7月26日、国会議事堂に初登院。同期の熊谷大議員と一番乗りしました。 初めて議場に足を踏み入れた瞬間は、体中に鳥肌が立ちました。「この場で、日本国の重要な政策の決議が行われてきたのか」と、改めて付託された責任を感じました。
自衛隊出身の議員として、国益を第一義に捉えた正論を掲げ、毎回の質問に立つよう心掛けています。これからも、応援の程、よろしくお願いいたします。
現在の所属委員会及び役職(2016年9月現在)
外交防衛委員会 委員長
参議院所属委員会
予算委員会
委員
東日本大震災復興及び原子力問題特別委員会
委員
憲法審査会
委員
書籍関連
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