2015年12月10日

日本国を守るということ

「我が子を戦場におくるな!」という標語をよく耳にしますけど、「じゃあ、誰が守ってくれるのさ?」無責任だな…といつも思います。

かつて、バリバリの左翼教師(女性)とこの手の議論をした時に、「では、いざという時にはどうするのですか?」と尋ねたら、臆面もなく「息子と共に海外に逃げます!」と答えました。
戦場に送るなってことは、成人した息子であるはずで、恋人もいれば友人や世話になった先輩後輩もいるでしょう。結局、そういうのを全て見捨させて「ママは貴方を危険な目に会わせたくないの!」って言う、過保護な母親のエゴイズムではないのでしょうか…。だって、故郷も年老いた両親も、友達も親族も見捨てて、「自分達さえ良ければ」ってことですよね…。

もし息子が、「いや、ママ、僕は愛する彼女を守らなきゃいけないし、この故郷や日本が好きだから、ここに残って仲間達と一緒に戦うよ!」と答えたら、この手の人達は何と答えるのでしょうね?「ママの言うこと聞きなさい!いつから貴方はそんな野蛮な人間になったの?人殺しに育てた覚えはないわ!」と息子の決心を否定するのでしょうか?

1973年5月1日、百里基地所属のF-4EJは、空中射撃訓練にのため同基地を飛び立ち、茨城県沖にて訓練を行っておりましたが、原因不明の空中爆発…。若いパイロットは還らぬ人となりました…。
残されたのは、若き未亡人と小学校二年生の息子。少年はいつしか父親の背中を追いかけ、航空自衛隊のパイロットを目指し、防衛大学校を受験することを決意します。
母は、次は息子を失うことになるかもしれないという不安と苦しみに慄き、始めは強く反対をしますが、最後には息子の決意を受け止め、「どうせ行くなら、絶対に戦闘機のパイロットを目指し、父の叶わなかった夢を実現させなさい!それ以外の妥協は許しません」と、少年を送り出しました。

防衛大学校にて航空要員となり、晴れてパイロットの道を歩み始めた青年でしたが、道は険しく、殉職して神格化された父親と常に比べられ、飛ぶことが苦痛と感じる時もあったことでしょう。しかし、父の夢、母との約束、を守るため青年は戦闘機パイロットとしての技量を磨き続けました。DSC_0364

やがて、青年にも愛する人ができ一人前の家庭を設け、彼も一人の父親となり、息子を授かることが叶いました。
いつしか、彼の夢は、親子三代に渡る挑戦となり、彼の息子も防衛大学校の学生となり、62期生(航空要員)として学業訓練に励んでいます。
今や、父となった青年は、現在は防衛の最前線である九州のある基地司令として、約1500名の隊員を束ね、西の空の防人として、国家の独立と国民の安寧のために、日夜神経を研ぎ澄ましています!

母も息子も、妻もそのまた息子も、本当に御立派です!
この話を聞いて、あなたはまだ「我が子を戦場に送るな」と言い続けられますか?
私の敬愛する先輩、O将補の実話でした。